現代漢方四方山話 |
第1話−中医の漢方よもやま話−
(財)大阪漢方医学振興財団
理事長
伊藤 良
私が中国伝統の漢方を診療にとりいれてから、ほぼ35年経ちます.どうしてアカデミックな西洋医学を捨てたのか、それには理由があります.
戦争中、私は軍医をやっていまして、シベリアで捕虜となつた体験があります。そのため、帰国後身体をこわしまして、健康上いろいろの問題を生じました。当時は漢方医学をまったく知りませんでした。いろいろやってみたものの、なかなか思うように治らない.たまたま私が勤務していた神戸の病院の近くに中島随象先生という明治生まれの漢方医がおられて治療していただいたところ、数年にわたつて治らなかった病気が全快して今日に至っています。
今年で77歳になりますが、私が年相応の健康を保つていられるのも漢方薬のおかげだろうと思います。いま、日本の国は「飽食の時代」といわれ、衣食住には心配しなくていい時代になりました.また文明の利器の恩恵に浴して、非常に便利な生活になっています.しかし便利であることがはたして全面的にいいことか−−− となつてきますと、寅乏な時代のほうがもっと健康に働けたとか、いろいろな問題があると思います.食生活の面でも、食品添加物などいろいろな異物が入つてきました.そのなかでいかにして健康を維持していくか.いまの輝かしい西洋医学の発展はありがたいことですが、それだけでは完全に補いきれない面も出てきました。
漢方は、奈良・平安時代に中囲から伝来しました.しかし現代の「漢方医学」と称される医学は、中国から伝来した医学のなかのある部分が発展したものであり、それを説明しただけでは、中囲の伝統医学の全面的な紹介を行っているとは言えないと思います.いま私が取り組んでいるのは中国医学です。もちろんその中には漢方医学といわれるものも含れます.私は、中国のすぐれた医学をみなさんに提供したいと考えています.
中囲伝統医学の根幹には二つの柱があります.一つは統一体観念.生理的にも、病気になったときにも、お互いに影響し合う機能を持っているという意味と、自然の中の一構成分子としての人間というものがあるのだということです.
もう一つの柱は、弁証論治といいます。西洋医学はすぐれた機械を用いて微細なところまで分析するようになつています。しかし私が医者になったころは、すぐれた機械といえばレントゲンがぼつぼつ出始めた程度で、心電図などは限られた人しか持っていませんでした。そのころは、聴覚、視覚、あるいは触覚と、重要な診断の道臭は人間の五感でした。数千年前に発生した中国医学は耳で聴き、鼻でかぎ、□で味わい、手で触り−−−という、人間本来の機能を大切にしています。そして患者さんの訴えることをどんな些細なことでも真剣に聞くということを基礎に置いています。そして、医者が診た時点での疾病の断面−−−lどういう病因で起こり、どういう病歴を持っているか、それはどういう方向で進んでいくのか、生きるのか死ぬのか、治る可能性があるのか−−−というところまで診ます.それを弁証といいます。それに合った治療法を編み出し、それに合った薬を集めて処方し、その個人に合うように与えるのが論治という方法です。
私が若かつたころ、患者さんに対して非常に尊大だつたと思います.たとえば、熱がある。体温計で測ってみ麦すと36度くらいしかない.そう謂言われましても芯熱があるんですというふうに患者さんは訴えられますね。すると私は、おこがましくも「体温計で熱がないのだから、それは熱とはいわない」と相手にしなかつた。芯熟という状態は、けつしてウソではないわけですね。「体温計で上がらないものは熱ではない」という考え方は、いまでも西洋医学で定着していると思います。しかし中国医学では熱というのは体が熱く感じて、のどが渇いて水を飲みたくなつて、ひどい場合は輾転反側する−−−体温計が37度以上を示さない場合でも、それは熱であると判断します。
大正年間にスペイン風邪が世界的に大流行して、多くの人が亡くなりました。その原因の一つについて、先に述べた中島先生がふと言われたことがあります。「それは君、氷嚢と氷枕のせいだよ」寒い寒いと震えている患者に体温計で熱が40度あるからといって氷嚢と氷枕を与えた。すると発汗作用が阻害されて病気は奥へ深く入つていく。そのために死んでしまうということも出てくるわけですね。だからいかに体温計の数値が38塵39麿とあっても、患者さんが寒い寒いと言ってるのは「熱」ではなくて「寒」なんです。そのときは冷やしてはいけないんです。
不思議に思われるかもしれませんが、漢方薬には、西洋医学でいうところの解熱薬、飲めば必す熱が下がるなどといった薬はありません.ただし熱の分類が非常に細かく行われていて、ある熟にはこの薬、この熱の状態ではこの薬と、みんな違います。だから、ある熱に対して違った薬を与えると、熟は下がらす却つて上がつたりします。熟が出ることがあっても寒気の非常に強い風邪、寒気がわずかにあってすぐ熱に変わってしまう風邪、しつこい風邪、胃腸型の風邪、甚だしい毒をもって小児麻痺のようにすぐ神経系に入るような風邪、疫毒といいます力く、それもすべて最初は風邪なんです.たとえば、川崎病という病気は、中囲にはほとんどありません.
寒気の段階で治してしまうからです.寒気の段階で治さないから、病毒が強い場合は奥に入つていって神経を冒す、あるいは心臓を冒す、という具合になる.それをさせない、ということが中国医学にはできるわけです.
ですから、熱病に対する診断法、慢性病に対する診断法、すべて異なります.治療法がたくさん用意されているということは非常に大切なことであり、これは3000年以上にわたって形成されてきた処方を持っている中国医学の強みだと思います。
また「末病を治す」という言葉もあります.病気が深くならないうちに、あるいはならないうちに治す、他の臓器に伝わっていく前に遮断するという意味です。
病気とは何か、薬とは何か。 私、漢方薬を飲み始めてから、胃の具合が悪いとかいったことは一度もありません。身体にやさしい医学です。それに対して西洋医学では、最近は診断も綿密になり、するどい薬を使うようになりました.よく効くのですが、ニワトリをさばくのに牛をさばく刀を使つているかのように、行き過ぎもあります。病気の勢いに相当する薬で治したらすっきりと治るのですが、過剰な薬を与えると、薬害が出てくる.漢方薬では、そういうことはまずありえません。
病気になるのは病人本人なのであり、病気に対抗する力を持っているのもまた本人です.薬で治すという考え方が第一にあるのではないのです。その方の闘病力で病気を治す.それを助けるのが薬です.助ける以上のことをすると害が出るのです。人間が生来持っている病気を治す力とは何か.一般に免疫力といわれていますが、これは食べ物なんです.飲食物が身体の中で変化して免疫力になつていくわけです。飲食物に対してもっと養生法を心掛けなければいけないと思います.
日本は湿気の多い気候です。来られる悪書さんのおなかをたたいてみると、8割方ちやぶちやぶいってます。これは消化吸収が不十分なために残つた水分が、身体のあちこちに残つているということです.それがめまいのもとになったりアレルギーのもとになつたりします.アレルギー性鼻炎なんて、私が子どものころはなかったのですが、最近はたくさん出てます.そういう人はたいがい胃がちやぷちやぷいってます.原因は外ではなくて、身体の中にある.いくら花粉が飛んできても、半分以上の方は何ともない.
花粉が飛んできてアレルギー症状が出るということは、身体の中にそれを受け入れる要素があるということです.それをつくらないためには、食事に気をつけなければいけない.日本人は、冷たいもの、なまものを過食してはいけません。冷たいもの、なまものは、胃に充血を起こさせてから消化吸収されるわけです.つまり一旦温めなければ消化吸収できない。長期的には胃を痛めます.
胃腸を痛めないということは、人間の健康にとつていちばん大事なことです.胃腸から栄養が入つて身体をつくり、それが免疫力をつくっていくわけです.ですから胃腸の丈夫な人は、だいたい免疫力旺盛です.胃腸を大事にすることと風邪をひかないこと.風邪を繰り返しひいていると、単に肺や気管だけでなく、腎臓や心臓に反復的に過労を与えたりして、長い間には腎臓や心臓の機能、血管の状態を悪くしてしまうのです.人間の身体は、風邪をひくたぴに一段すつ衰えていくと考えたほうがいいと思います.
漢方処方は人類の宝
若いころ書労して、捕虜笠活を送った私が事日まで生きてきました.先日中国へ行つてきましたが、「60代にしか見えない」と言われました.お世辞かもしれませんが‥‥‥.でも、私の同級生はよぼよぽです.「俺と
比べるとおまえは元気だな」と言われるのですが、それだけに、漢方に出会えて本当によかつたなと悪つています。
いまの医学で治らない病気でも治るものもあり、どうしても軽減できない苦痛がとれていったり、あるいは不治の病でも苦痛がとれるということぐらいはできると思います.たとえばフグを食べたら死ぬということがわかるためには、どれだけの人が死んだでしよう.その中から、毒になるものの中には少し用いたらこういう薬理作用があるんだということがわかつて、それを薬物としてとりあげて、それを集めて漢方薬の処方をつくりあげた、何万年にもわたる人間の知恵、そしてそれを人体実験として受け継いできて現在にある数千の処方集−−−これらは本当に人類の宝だと思います。中国が文字を大切にして、記録して我々に残してくれた。そのおかげとして漢方薬があるのだということを認識していただければ幸いです.
平成12年3月2日 漢方フェアにて